沖縄に帰っていた。
沖縄は暑かったし湿度もある程度高かったけれど、どこにいてもざっと大きな風が吹く瞬間というのがあって、それを感じるにつけ、ああそうだった、と思うのだった。
働き口がなかったり、基地があったり、諸々の問題を抱えながらも、沖縄というあの島で生まれ育まれたことを、私はこの上ない幸運だったと思っている。
妹のナビで久しぶりに那覇界隈を歩くと、結構文化的なお店が増えていた。付け焼刃的なおしゃれカフェではなく、つまり本棚に台北ぶらり旅といった女子向け旅行本、カフェ本、益田ミリ、村上春樹、よしもとばなな、だけではなく、マイケル・サンデルや坂本龍一監修の「非戦」やSEALDsと高橋源一郎の本、野草等の健康関連の本、コアな音楽雑誌や映画論の本、等々いい感じにこじらせていそうな店主がやっている店がすこしずつ増えているようだった。善き哉。
なかでも壺屋のMAHOU COFFEEは近くにあったら入り浸りたい。
あの時期にこういうお店があったなら、友人たちをそこへ案内したのに、と思う。
久しぶりに会う人たちも、変わらないようでもちろん変わっていた。
変わらないね、というのは一つ褒め言葉なのかもしれない(人を安心させる方向にはたらく言葉だ)けれど、人というのは基本的な雰囲気はそこまで変わらないものの、やっぱりなんだかんだ日々何かに影響を受けすこしずつ変わっている。
誰かに言われた言葉や、読んだもの、見た光景、携わる仕事や人間関係、家族や近しい人の状況の変化、そして自らの身体の変化、時にはざっと吹く大きな風にすら、影響をうける。
あの人も、あなたも、私も。
とはいえ、誰かに、変わったね、というのは容易いことではない。 変わったねと言えばどう変わったかを問われるのだし、それはまたある問いを彼彼女に投げかけることだろうと思う。
夏の終わりを知るのは あなただけじゃない 私だけでもない
と最近出した「アダンバレエ」というアルバムでCoccoが歌っていた。楽園、という曲。
Coccoは間違いなく私の高校生までの間に感じていた沖縄の空気をそのまま曲にしている人だ。
気だるく、あるときは開放的ででも閉鎖的で、底抜けには明るくないけれど陽射しと星のたくさん降り注ぐ大きな風の吹く場所。ある種の情熱と諦念。島である、と体感できるほど小さくはなく、それでも他の都道府県とはやはり距離のある、独自性の意識。
今勤めている場所は東京で、そこでは9月半ばには既に夏の終わりを感じるような秋の気配がしのびより、冷房の中で感覚をそれこそ冷蔵保存されている身体に夏を思い出させるべく、昼は外へ出ていたふしがある。夏の終わりを惜しむのは初めてかもしれない。
いつから夏が好きになったのだろうと思う。年かな。
沖縄にはまだ夏が全力でいて、安心する。
戻ると東京は気温20度だったわけだけど。
さて9月最終週。
月末のお仕事諸々だな。。
Sep 25, 2016
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